私の就活が私の人生に影響を与えた事 株式会社マングース代表 渡辺良朗

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私の就活が私の人生に影響を与えた事 株式会社マングース代表 渡辺良朗

2023-12-07T13:47:23+09:002023年12月6日|採用, 社長ブログ|0コメント

学生さんに向けて、私の就活と
その就活が私の人生にどんな影響を与えたか を紹介させていただきます。
皆さんの就活のお役に立つ事を願って書きました。

★ 外国資本の会社は昔からリストラが多い

私の学生時代は、大学の廊下に3mほどの長さで科目別に(私は理学部の物理学科)求人票が張り出されていた。
A5サイズの求人票がおそらく物理学科だけで、100~200社ほどだと思う。 白黒の手書きで、写真も無く、シンプルなもので、社名、住所、業務内容、休日、給与程度のシンプルな内容だったと記憶している。 学生課にはもっと詳しい資料もあったが、廊下の求人票で選ぶ人が多かったと思う。

A5サイズ1枚では情報が少なく、かなり想像逞しくしないと会社をイメージできない。 結局私は当時珍しかった土日完全休日で、給与も良い会社を選んだ。
外資系の会社だが、父に報告すると「外資はリストラがあるよ」というような事を話してくれた。 それから25年後に、正に自分がリストラになるとは想像しなかった。 外国の会社は、株主を重視します、したがってリストラが多くなります。

★ 就活では、学校の成績よりも大事なものがある

卒研も終わって、就活開始は10月頃だったと思う。当時としても遅い方で、面接では「当社は初めて?」と聞かれた。
授業は不真面目で、再試験の申込用紙に科目が多すぎて書ききれず留年となった。部活とバイトの話題は色々あった。結果は運良く合格だったのだが、あとで知ったが、同じ理科大でけっこう不合格が多かったらしい。私の成績はほぼCで最悪だった。

不合格の皆さんは私よりずっと成績が良かったようで、なぜ私が採用になったのかは分からない。 おまけに、合格してから人事部長との二人だけの時に「ウチは基本的に一人っ子は採らないんだ。」と恩着せがましく言われて、「じゃあ、どこかよっぽど良かったって事ですよね」とは言えなかった。入社して同期に聞くと、なぜか多くが浪人と留年だった。変わった奴が多かったが飲み会は楽しかった。

★ どの業種も製品・サービスも、いつか時代に合わなくなる

最初の会社は米国のHPと日本の横河電機の合弁企業。 次の移動先は、一旦、親会社の横河電機。 次は、横河と米国のGE社(巨大)の合弁企業。 今思うと、いわゆる子会社での時間が長く、子会社は結局は親会社の考えひとつで決まる事が多い。会社を閉じるのも親会社の考え次第です。
子会社の調子が良い時は問題ないのですが、調子が悪くなるといろんな噂が飛び交うようになり、ついには、45歳以上の管理職から順次リストラの声がかかるようになった。管理職1人が退職すると、その人件費で新卒を3人採用できる計算になる。

どの業界も栄枯盛衰です。1つの製品・サービスは一定の年月が経つと、時代に合わなくなったり、過当競争の波が押し寄せるようになります。今見ている会社がそのまま続くとは思わない方が良いです。

★ 自分の人生を他人に委ねたくない

というわけで、会社人生25年をさっと紹介させていただきました。
世の中の多くの会社は、時代の変化についていけず、気が付くと無くなっていたり、吸収されていたり、という事が多いように思います。
私は49歳でリストラで独立しました。例えサラリーマンであっても「いつか独立する可能性がある」と変化に耐えられる日頃の勉強が必要だと思います。

私の場合は、サラリーマンの時に、中小企業診断士の講座に入りました。 1年ほどの講座で、その時の仲間とは今も付き合っています。
今思うに、勉強で大事なのは「勉強の仕方を勉強する」です。これは多くの人がいろんな言い方で話している事です。 勉強の仕方を知っていれば、変化に耐えられますし変化が怖くなくなります。
「これさえ知っていれば一生食える」というものはもはやありません。 どの世界でも先頭集団を走っている人は皆、日々勉強しています。 だからこそ、先頭集団を走っています。

仕事を一生懸命にやっていると、気分転換が欲しくなります。 私の場合は、往復の電車での勉強時間が楽しみでした。(座れれば寝ちゃいました、、)
ぜひ、ボーっとでも良いので、人生を見通して仕事を選んでください。 ポイントは「自分の人生を他人に委ねたくない」だと私は思います。